半田晴久/深見東州 産経新聞連載第8回「理想の先生2」
『教える技術』持たぬ教師は淘汰される
理想の教師像は―。どういう条件が良い先生なのか。前回の続きです。
子供にとって、理想の先生は、子供たちとは適切な距離をおきながら、冷静に、上手に教え導く先生だと思います。指導が上手な先生でないと、学科の好き嫌いや学科の成績の善しあしで、子供の将来の進路を決める重要な要素になるからです。
私は先生をA-Dタイプに分類しています。学生時代の経験からも、「いい先生だった」と思い出すのは、教える技術に優れたAとBタイプの先生ばかりです。熱血型のCタイプの先生は、教わっていたときは共感していたのに、それほど印象には残っていません。
子供にとって、教わったことが、後々生きてくることがよくあります。子供にとっての財産ともいうべき知識やものの考え方を分かりやすく教えてくれる人こそが、本当に素晴らしい先生だと私は考えているのです。
そこで、私は良い先生は、最低限の許容範囲として「教える技術」を持っていることを指摘しています。ところが今の公立学校には、その最低限の条件をみたしている先生が、さほど多くは見当たらないのです。
一方、私立学校や塾、予備校には、素晴らしい技術を持った先生が顔をそろえています。この違いはどういうことなのでしょう。
理由は簡単です。公立学校と違って私学や塾、予備校には先生同士の切磋琢磨があるからです。もっと分かりやすくいえば、先生同士が淘汰を賭けた激しい競争を繰り広げているのです。
例えば、教え方があまり上手でない先生がいたとしましょう。私学では、父母から手厳しい苦情が寄せられますし、塾や予備校の場合には、その先生の授業に生徒が集まらなくなります。
つまり、私学や塾、予備校では、教える技術を持たない先生は淘汰が待ち受けているのです。それがよくわかっているので、必死に自らの能力に磨きをかけているのです。子供たちは、そうして培われた「教える技術」に感銘を受け、また興味を持ち、知らず知らず本気になって、勉強に取り組むようになるのです。
その点、公立学校では、教える技術を磨く校風や、努力に報いるシステムに欠けるなど、能力のある先生が育ちにくい環境にもあるのです。
みすず学苑 半田晴久
2003年4月17日 産経新聞