半田晴久/深見東州 産経連載第36回「教師は激務?」
責任ばかり重くて権限がない管理職
私の知り合いに、公益法人で教育問題に取り組んでいる人がいます。日本の教育のあり方を各方面から提言を行っている法人で、活動範囲を広めるため、定期的に元校長や元教頭への参加を呼びかけているそうです。ところが、「定年後は教育とは関係のないところでゆっくり過ごしたい」というのが大方の反応。積極的な姿勢を見せる人はごく少数とのことです。
もう教育とはかかわりたくない…。長年、教育に携わってきた人たちが、そのような言葉を吐くとは、信じ難い話ですが、驚かされたのはそれだけではありません。公教育の現場では、定年後の余命は、校長で二年、教頭なら三年という話がまことしやかに語られているというのです。それだけ校長、教頭は激務ということなのでしょうが-。
民間からみれば、安定した給料が保証されたうえに長い夏休み、冬休み、春休みがあって、しかも売り上げなどのノルマがない教師の仕事が激務だとは思えない、という人も少なくないでしょう。
だが「実際のところ、かなりの激務」が現場の声のようです。
以前、都内の中学で教育実習を受けた大学生を紹介しましたが、彼の言によると、一緒に教育実習を受けた三人のうち一人は翌日から、もう一人は一週間後には登校しなくなり、最後までがんばったのは彼だけ。「こんなにハードな仕事とは知らなかった。自分に教師は無理だ」が、脱落の理由だそうです。
何が、激務なのか。校長、教頭など管理職にかぎっていえば、責任ばかり重くて権限がないことです。これが一番辛い、といいます。教育のあり方や学校運営について、自分なりに理想を抱いて取り組むも、文科省や教育委員会からの拘束がきつくて身動きがとれない。それに引き換え、問題が生じたときは厳しく責任を追及される。これではストレスにさいなまれるのも当然ですし、「退職後は、教育とはかかわりたくない」という気持ちも理解できます。
真の教育改革を行うためには、学校の運営などについてはもう少し、多くの有効な実例を示して、現場サイドの裁量に委ねることも考えるべきではないでしょうか。ここ数年、「ゆとり教育」がやかましく言われていますが、ゆとりが必要なのは現場の先生、特に管理職たちなのではないでしょうか。
みすず学苑 半田晴久
2003年10月30日 産経新聞