半田晴久/深見東州 産経連載第32回「公教育の問題点」
学校を取り巻く環境が”問題教師”を生む
先週は、塾や予備校は学校の授業不足を補う補習機関としての意義もある、と書きました。反論もあろうかと思うので、「なぜ、そうなのか」を補足します。
九月十三日付の産経新聞に、公立学校の先生の中で、適切な授業やクラス運営ができない、いわゆる「指導力不足」と認定された教員が、平成十四年度は二百八十九人もいた。前年度に比べほぼ倍増した、との記事が載っていました。指導力不足を認定する制度が導入された十二年度が六十五人、十三年度は百四十九人といいますから、その急増ぶりに驚きます。しかも、今回発表された数字は、「全国で…」の話ではありません。全国五十九の教育委員会のうち「指導力不足」を認定する判定委員会を設置済みの二十七教育委員会だけの集計です。全教育委員会が判定委員会を設置すれば、どのくらいの数字になるのか、想像すると背筋が寒くなります。
”失格教師”のなかには、生徒に顔を向けず、ひたすら黒板に向かって授業を進める。学級担任なのに、生徒とほとんど言葉を交わさない。そんな教師が多数いたということです。この現状を知ると、親としては、子供を公立校に通わせることが不安になります。
公教育の問題点は、教員個々の資質もさることながら、先生方を取り巻く環境にこそあるのではないでしょうか。
私の知り合いに、都内の中学校で教育実習をした大学生がいます。教育に大変な情熱とロマンを抱いている彼は、意気揚々と教育実習に出かけていったのですが、教壇に立つと、授業中におしゃべりしたりウロウロ歩き回る生徒など、まさに学級崩壊寸前。あまりのひどさに席を離れて歩き回る生徒を怒鳴りつけ、おとなしくさせた。すると、先輩教師たちから「よくやってくれた」と称賛を受けたそうです。先輩教師は「自分も若いときにはビシバシやって、言っても効き目がない子は殴ったこともあるけれど、あんまり厳しくやると、いろいろと難しい問題が…」と付け加えた、といいます。
先輩教師が口にした厳しい問題とは、想像するまでもなく、教育に干渉してくる父母や事なかれ主義の教育委員会を指してのことでしょう。その被害者であるのは子供たち。本当の授業を求めて塾に通わざるを得ないのが、現実の姿なのです。
みすず学苑 半田晴久
2003年10月2日 産経新聞