半田晴久/深見東州 産経連載第29回「志望校選択6」
実力社会でこそ大学への進学が必要
受験、受験と書くと、「なぜ、大学へ行く必要があるのか」という反発の声が必ずでます。確かに、学歴社会の崩壊が進行しています。そんな時代の変化を受けて、「実力社会の到来。もはや学歴無用、無理して大学に行くことはない」というような言説がまことしやかに、もてはやされているのかもしれません。
しかし私は、実力社会だからこそ大学に進学すべきだ、と考えます。
大きな理由の一つは、専門書を読破できる能力が身につくこと。遊びほうけているように見える大学生でも、年二回の定期試験を必ず受け、合格しないと卒業できないはずです。それに合格するためには、万難を排して教科書(学術的専門書)を読まざるを得ません。一生懸命に勉強した結果、難解だった学術的専門書も読破できる能力が身につくようになるのです。このことが、大卒者と高卒者の大きな違いの一つではないでしょうか。
雑学を身につける程度の本を読むのは別にして、独学で高等専門書を読破することは簡単ではありません。やはり、指導教官の下で基礎からきちんと勉強することが必要です。そこまでして勉強し、身につけた実力が、真に社会で役に立つのです。
本を書き、有料の講演をする人は、ほとんどが専門書を読破する能力を持ち合わせています。学術に限らず料理、書、絵画の世界であろうと、専門書を読破する力がなければ、プロとして成功は難しい。逆な言い方をすれば、専門書を読破できない人は、永遠にアマチュアの域からでることができないでしょう。
もちろん、独学で専門書を読破する力を身につける人は存在します。しかし、努力の陰には、貴重な時間が余分に費やされているのが現実、と推察します。効率の面から考えれば、大学に進学し、ゼミなどで指導教官につけば、最短距離を歩むことができるのです。
なによりも、将来に役立つ人脈を構築することもできます。総合的に勘案すれば「事情が許すかぎり大学に進学すべき」というのが、私の持論であり結論です。
実力社会だから学歴無用と考えるのはあまりにも短絡すぎます。もう一度、受験の意義を真剣に考えて、大学で本当に役立つ総合能力や専門能力を磨くべきではないでしょうか。
みすず学苑 半田晴久
2003年9月11日 産経新聞