半田晴久/深見東州 産経新聞連載第7回「理想の先生1」

愛情と情熱だけでは育てられない

 前回は、公立学校の問題点を指摘しました。では良い先生とは、どのような先生を指しているのでしょうか。私は、自分が生徒として教わった体験、予備校の学苑長としての経験から、先生を大きくAからDまで四つのクラスに区分しています。

 

 Aクラスは、「教える技術」と教育についての理念や情熱を併せ持つ最上級の先生です。残念ながら、こうした素晴らしい先生はなかなか見当たりません。ちなみに私がいう「教える技術」とは、子供たちに、授業内容を理解させるだけでなく、勉強そのものに興昧を抱かせる技術という意味も含みます。

 

 Bクラスの先生は、教える技術は素晴らしいが、生徒に対する愛情や情熱という面で、もの足りなさを感じるクールな職人タイプ。

 

 Cクラスは教える技術は今ひとつだが、愛情とやる気だけは誰にも負けないという先生です。テレビドラマの学園ものに豊場する熱血タイプの先生を想像すればいいでしょう。

 

 Dクラスは、教える技術も情熱も持ち合わせていない先生たちです。

 

 私は、子供に必要な先生はBクラスまで、と思っています。素直に言わせてもらえば、CとDに属する人は、教師としては失格だと考えているのです。こういうと、愛情と情熱にあふれた、Cクラスの先生がなぜ失格なのか。教える技術よりも、教育に対する情熱や愛情の方が大切なのではないか、と反発を感じる人もいるかもしれません。

 

 もちろん、私も愛情と情熱を持って物事に取り組むことの大切さは、十分に理解しています。それでもあえて「愛情と情熱だけでは子供は育てられない」と言いたいのです。教師の本分は、分かりやすく勉強を教え、そのことを通して、子供たちの学力、物を者を見る目や心を見開かせることです。いくら愛情と情熱があっても、教える技術がなければ、その本分は全うされません。

 

 つけ加えれば、そうした先生の愛情や情熱が本物ならば、子供たちをその学科に興味を持たせ、自分でひとり歩きして勉強するように仕向けるべく、教え方を工夫、研究すべきです。まずは難解なものでも理解しやすく、そして、その学科が好きになるように、教え方を磨くのが本筋です。技術が伴っていないのは、本分を忘れた怠慢教師である、としか言いようがありません。

 

 

みすず学苑 半田晴久

2003年4月10日 産経新聞