半田晴久(深見東州) in パース 2000年2月

カーティン工科大学名誉博士授与とフカミスカラシップ

 カーティン工科大学は、西オーストラリア州では経済、経営に関してはナンバーワンの権威ある大学であり、そこで半田晴久(深見東州)はもう10年以上前から、スカラシップ(奨学金制度)を続けています。これまでに十数人の有望な若者たちが、奨学金を受けて日本に留学しています。このスカラシップの大きな特徴は、「留学生は必ず、伊勢神宮に参拝すること」。オーストラリアの若く優秀な学生に、日本文化のベースである神道を理解するきっかけを与え、しかも伊勢の神様のご守護をいただく。そうすることで、やがて彼らが大きく羽ばたく時には、日豪友好の重要な役をになってくれるだろう……という、半田晴久(深見東州)の提案によって決まったものなのです。

 

 さて、この日、半田晴久(深見東州)は、昼間のうちにスカラシップのミーティングを含め、3つのミーティングを立て続けにこなしました。

 

深見東州 半田晴久
英語で記念スピーチをする半田晴久

 そして、日本とは反対の季節なので、長い夏の日も傾きかけた夕方1900。いよいよ、カーテン大学卒業式の始まりです。屋外に設けられた特設ステージで、半田晴久(深見東州)さんは学長から名誉博士号を授けられ、英語で記念スピーチをされました。

半田晴久 深見東州
大喝采のスピーチを終えた半田晴久

いつものように何のメモも見ず、起承転結あざやかで、制限時間内にピタリと収まるスピーチでした。中世の「阿弥」の思想に触れながら、日本的なルネッサンス・マンを定義し、最後にヒネリの利いたジョークをまじえて分かりやすく説明したスピーチに、2200人を越える参加者からは、大爆笑と大喝采!

 

 最後は花火が次々と打ち上げられる中、大成功のうちに式典は幕を閉じたのです。この後のレセプションでは、歴代の学長や副学長、また学部長などが勢ぞろいして集まり、楽しい交流があったのですが、口々に半田晴久(深見東州)さんのスピーチをほめたたえていました。

 

パース エディスコーワン大学にて

半田晴久 深見東州
ミーティングを行う半田晴久(右側)

 翌2000年2月22日は、エディス・コーワン大学で、半田晴久(深見東州)さんの修士プログラムについてのミーティングが行われました。半田晴久(深見東州)さんはエディス・コーワン大学で学ぶ学生でもあり、今年から修士プログラムに進みます。一方では大学教授としてレクチャーするだけの実力をお持ちでありながら、なおも腰を低くして謙虚に学び続ける姿勢を忘れない……

 

オーストラリアの人々は皆、「誰にでも出来ることではない」と大きな感銘を受け、さらに尊敬の念を深めていました。

 さらに、2000年2月22日の同日、半田晴久(深見東州)は現地のロータリークラブの名誉会員に就任。このクラブにおける名誉会員は、ピーター・カーンリー大主教(英国国教会オーストラリアの最高位)以来、2人目であるそうです。それも、半田さんは「普通の会員でいいですよ」とおっしゃっていたのを、クラブ員の方から、「ぜひ、名誉会員として推させてほしい」と申し出があったのです。

 

 クラブの昼食会で、現地のロータリークラブ会長によって、半田晴久(深見東州)の経歴が読み上げられたのですが、それを聞いている人々の光景がなんともおかしかったのです。ロータリークラブといえば、地元でも名士が集う会ですが、その彼らでさえ、地元で有名なカーテン大学とエディス・コーワン大学の2つの名誉博士号を授与された上、さらにとてつもない半田晴久(深見東州)の足跡や経歴が、実際の10分の1ぐらいしか紹介していなのですが、あまりにもものすごく、成果のをまたにかけた活動をしておられるので、皆驚いて、目を白黒させていたので……

 

 朝食会終了後、皆が半田さんとの会話を望んで殺到し、先生の回りに人だかりが出来たのが印象的でありました。

 

 こうして、パースでの全ての予定を終えた先生は、すぐ空港へ、12日のパース滞在を終え、真夏のオーストラリアから、一気に真冬のロンドンへ向けて旅立たれたのです……

 

 

 

By 夢野洋子 Handa(Fukami)Fan