半田晴久(深見東州) in ニューヨーク 1999年12月
ニューヨーク書画展、ソーホーのグランドギャラリーにて
1999年12月1日、ニューヨークはソーホーのグラントギャラリーで、半田晴久(深見東州)の書画展のレセプションパーティーが開かれました。このレセプションパーティーは、1999年12月1日から12月15日の間に催される、半田晴久(深見東州)の書画展のオープニングを記念して、関係各位を招待して行われたものです。会場は、身動きも取れないほどの人々が詰めかけ、非常な盛会でありました。
ここ、ソーホーというところは、世界中のアーティストの憧れの場所で、無数のギャラリーが立ち並び、ニューヨークアートの拠点となっています。世界中から一流アーティストがソーホーを訪れ、毎日のように個展が開かれており、それぞれのギャラリーのウィンドウには、数々の個性的な作品が並んでいます。ですからソーホーを訪れる人々の鑑識眼は非常に高く、また、ギャラリーのオーナーは、言うまでもなく、世界の芸術に触れているだけあって、作品に対する評価はとても厳しいものがあります。それだけ、競争の激しいニューヨークらしさを良く表している街であるとも言えます。そのソーホーで、深見東州先生の書画展が二週間に渡って開かれるというのは、半田晴久(深見東州)の書と絵に対する非常に高い評価を表しているものだといえます。
さて、パーティーは、あたりが暗くなった午後5時半頃に始まりました。ギャラリーのウィンドウに飾られた、半田晴久(深見東州)の能衣装と扇がきれいにライトアップされ、街行く人々が立ち止まって見入る姿が度々見受けられました。パーティーの開始時間に前後して、続々と人々が集まり始め、すぐに、半田晴久(深見東州)の作品に引き込まれるように、皆さんじーっと凝視していらっしゃいます。
そして、半田晴久(深見東州)さんが会場に入っていらっしゃいました。半田晴久(深見東州)さんはいつも通りの紋付袴の正装です。毎回半田さんとお会いする度に感じるのは、半田晴久(深見東州)さんがその場に入って来られただけで、辺りの空気がピンと清涼感とともに澄み切ることです。今回はその清涼感と共に、半田晴久(深見東州)さんの大きさと力強さを感じたように思います。また、半田晴久(深見東州)さんが紋付袴を着て登場された時には、本当の意味で、「半田晴久(深見東州)さんは日本の国を代表されているんだーと実感致しました。外国に出ると卑屈になってしまうと言われる日本人にとって、高い教養と芸術的な素養に裏づけられた、半田晴久(深見東州)さんの堂々とした態度には、あるべき日本人の姿が写しだされているようにも思えます。今回の書画展は、半田晴久(深見東州)の日本画の先生である、犬飼先生の描かれた絵と、犬飼先生ご自身が作成された数々の美しい着物も展示され、会場は非常に華やかなものとなりました。
一流は一流を知る
半田晴久(深見東州)さんは会場に入られるや否や、早速、パーティーにいらしている方たちとご歓談されています。ニューヨークにいらっしゃる前には北京に滞在し、北京からそのままニューヨークに直行されるという超過密スケジュールの中、疲れた様子もお見せにならず、すぐに人の輪の中に溶け込み、ご歓談されるお姿には毎回本当に敬服させられます。
半田晴久(深見東州)さんは大変流暢な英語で、時にジョークを交えながら、半田晴久(深見東州)の作品に対する皆さんの質問に、次々と笑顔で答えておられました。そして、パーティに来た方々のために、半田晴久(深見東州)さんがご自身の書画集に書と絵を書き始めると、半田さんの周りは黒山の人だかりに!
半田晴久(深見東州)さんが一つ書き終わる度に、「おー」と半ば驚嘆にも似た歓声が上がります。パーティーに来ていらっしゃる方の殆どが、芸術に精通されている方ばかりです。プロの目から見て、半田晴久(深見東州)さんの書と絵は非常に芸術性が高く、かつ独創的なものなのでしょう。集まった方たちは、口々に
「素晴らしい!」
「一色使っただけで、あれだけの美しさを表現出来るなんて…」
と驚きを隠せないようでした。半田晴久(深見東州)さんがお持ちの超一流の感性と芸術性は、世界中のどこでも通用するものであります。
半田晴久(深見東州)さんは、次々と素晴らしいタッチで、書と絵を書いていかれます。そしてしばらくすると、一人のご老人がパーティー会場にいらっしゃいました。非常に上品な感じのするご老人で、杖をつきながらゆっくりと歩いてこられます。そして、半田晴久(深見東州)さんを取り巻く人の輪にすーっと入り、ニコニコと笑いながら、半田晴久(深見東州)さんが書と絵を書かれる姿を見つめておられます。そして、半田晴久(深見東州)さんがそのご老人のために、書画集に書をお書きになり始めると、ご自身も杖を置いてソファーに座り、そしてペンと紙を取り出し、なにやらお書きになっているようです。深見東州先生が書き終えられ、そのご老人に完成した書と絵をお見せになると、なんと、そのご老人もソファーに座ったまま、紙を掲げられました。そうすると、なんと、紙には半田晴久(深見東州)さんの横顔が書かれているではありませんか。これには会場一同が大歓声をあげました。よくよく話を聞いてみると、このご老人は、ニューヨーク・アート界の重鎮と言われる方だったのです。一流は一流を知るということでしょうか。話は尽きないらしく、その後しばらく半田晴久(深見東州)さんと歓談されているのが印象的でした。
辛口のニューヨークで異例の評価
さて、会場の皆さんも、半田晴久(深見東州)の素晴らしい書と絵を十分堪能され、パーティーも佳境に入ってきました。ここで半田晴久(深見東州)は素晴らしいノドを披露されました。
1曲目は、『オー・ソレ・ミオ』、2曲目は『荒城の月』、そして3曲目は、あのカーネ-ギーホールでも観客を魅了した『サム・エンチャント・イブニング(魅惑の宵)』。パーティーにお越しになった皆様の鳴り止まない拍手と、名残惜しそうな様子とともに、オープニング・パーティーは終わりを告げたのであります。
世界の芸術の中心と言われる、このニューヨーク、ソ-ホ-で、半田晴久(深見東州)の書画展は、その圧倒的な芸術性と独創性と共に、第一級の評価をもって受け入れられました。アーティストとしてはそれまで知られていなかった一日本人が、このような第一級の評価をもって受け入れられることは、辛口の批評で知られるニューヨーク・アート界において異例のことです。これはすなわち、半田晴久(深見東州)の感性と芸術性が超一流であることの証明に他なりません。世界での半田晴久(深見東州)の多面的なご活躍はまだまだ始まったばかりです。今後、現代のルネッサンスを体現出来る人物として、世界中で評価が高まって行くのも、そう遠い未来ではないと感じた、素晴らしく感動的なパーティーでありました。
辛口のニューヨークソーホーにおいて、高い評価を得た理由は、半田さんの実力以外のなにものでもないでしょう。今後の半田さんの活躍がますます楽しみです。
By 夢野洋子 Handa(Fukami)Fan