深見東州(半田晴久)著 あなたを成功させる 大金運
(プロローグ 正しい心掛けがあなたの夢をかなえるより抜粋)
いくら努力をしても、なかなか実を結ばない、ということも多いだろう。一生懸命、汗水たらして頑張ったのに、あと一歩のところで失敗してしまう。あるいは、他人にいいところだけ奪われてしまう、と嘆く人をよく見かける。
努力した分は必ず報われるーーーこの原則は、心の成長や内面的世界においては、確かにそうなのであるが、ことお金に関する分野では、覆されるものだ。努力した分だけ、商売がうまくいき、売り上げも伸び、出世ができるかといえば、そんなことはない。努力しても、失敗する人は多いのである。それは、商売上のライバルも多いし、皆、それぞれに必死の努力をしているからだが、もうひとつは、努力を結実させる決定的な運がなかったからに他ならない。もちろん、先見の明や創意工夫、また、世の中に通用させる表現力が乏しい人も努力が実らない人である。自分なりの努力と世に活かされる努力の違いかもしれないが、そういう努力をどんなにしても、まったく芽の出ない人もいる。それは、一言でいうならば運のない人である。
では、運をつかむためにはどうすればいいのだろうか。
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(第一章 幸せになれる儲け方と使い方より抜粋)
手先が器用な人、なんでもかんでも上手にこなしてしまう人と、才能のある人は、表面だけ見るときわめてよく似ているが、中身はまったく違う。
いわゆる器用な人ーーーこれは、単にのみこみが早くて、人より指の関節が素早く動くだけであって、それがプロとして通用するかといえば、そんなこともなく、趣味や特技の域を抜けきれない。
ところが、才能がある人というのは、プロとしての実力があり、その技術がなかなか真似できない。当然、世間の人たちはお金を出しても、その才能を買おうとするのである。つまり、器用はお金にならぬが、才能はお金になるのである。
お金になるとは、いかなることであろうか。
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(第一章 幸せになれる儲け方と使い方より抜粋)
私のように、接待地獄で苦しんだ人は多いのではないかと思う。特に、酒の嫌いな人や性格的に赤や青のネオンが肌に合わない人には、まさに生き地獄の苦しみであろう。しかし、出世のため、金運のために、どうしても通過しなければならない関門であるならば、たとえ辛くても明るく乗り越えたいものである。
辛くて辛くてどうしようもないのなら、いっそのこと、バカになってみたらどうであろうか。バカになるといっても、本物の痴呆になるわけではない。知性のネジをゆるくして、よく見せようと気どらない工夫をするだけである。
出世のための三要素といわれているものに、「運、鈍、根」がよくあげられる。
運とは、文字どおり、運である。機会、チャンスにめぐり会うことを意味する。
鈍とは、愚鈍である。つまり、小ざかしい智恵の剣をふりまわさず、バカになりきれるかどうかだ。
根とは、根気である。粘り強さや一徹さを指す。
確かに、大手企業の社長や会長、あるいは創業者といわれる人々には、頭のてっぺんから足の先までスキのない、完璧な人物はいない。はっきり、誰でもがわかるような、ズッコケる部分が必ずあるものである。つまり、愛嬌であり、人間的な魅力であるともいえる。その人物とつき合っていても、固苦しくなく、実に楽しい、そんな雰囲気をもっているものだ。
雰囲気に酔う、という言葉があるが、酒が嫌いなら雰囲気に酔えばいいのである。そのためには、心に着いてる裃を脱いで、バカになりきることだ。悪人といることを楽しむ善人になることだ。そうすれば宴席も楽しくなる。
この心得は、嫌いな人、ニガテな相手とつき合う場合にも有効である。
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